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組織作りにおける「最善と完璧」

つまり?

フェーズによって誰が必要かなんて究極腰を据えて自分たちで考えないと答えが出ないみたいだし、粛々と準備することでしかいい人と働けないですね、という話。

よくある採用ノウハウ

最近よく「どんな人と一緒に働くことができればプロダクトや今のチームはもっと良い形になるんだろう」と考えてます。

会社は採用が全てとかよく言うんですが、「どんな職能/職責の人を入れると、プロダクト/組織が最大限よくなるのか」なんて、思っていたよりも各社違う様子でして、正解がない。

そして正解がないと不安だから「〇〇の職種の人は社員〇名の段階で入れるべき!」という”ノウハウ”が魅力的に映る。〇〇には例えば「CTO、CDO、COO、人事責任者、コーポレート責任者」などが入ります。

なんだけど、例えばプロダクトの説明に一定技術理解が必要な場合、単純に人事責任者を入れれば採用がうまく運ぶんですか、と言うとそうではなさそうですよね。人事への伝達コストを考えたらエンジニアが自分たちで採用に動いた方が早いという可能性も十分ある。

なのにフェーズにあわせて入れるべき人の職種や職責の解があるかのように言い表されるのは何故なんだろう、と。

これが例えば、当該職種の人が当該職種の最高位の人をすぐ入れるべき!とか言ってたらある種「自分の立場を弁護するため」に言ってるって解釈することも可能なんですが、どうもそうではない。

俗に「経営者」と呼ばれる人が「自分の過去を振り返って、ミスだったと思う点をカバーするなら〇〇の職種の人をまず入れる」って言ってるから、自分はその二の舞にならないようにご意見参考にさせていただこうと、右に倣えと言わんばかりにフェーズ不適格(ちょっと失礼なのでもっといい表現はないだろうか)な人を入れてしまったりすることがあるように思えます。

フェーズ不適格な採用とは何なのか?

採用はみんながめっちゃ重要と言ってるのにミスったりするっぽいのでやばい。しかも不可逆だから絶対ミスんなよってトーンで言われているのに、です。

じゃあ熟慮してないってどう言う状態なんでしょうか?

多分それは不安に駆られて「最善」ではなく「完璧」を選ぼうとしてしまっている状態なのではと思いました。

ここでいう最善は「自社の人・モノ・金・時間という制約条件(特に金)の下、競合劣位な部分を埋められる人と競合優位をより確固たるものにするのに必要な人の要件を固め、彼らに最大限良い条件を提示しながら、それ以外の層には泣きながらアプローチするのを堪える」みたいな意味。

逆に完璧は文字通り組織のあらゆるポジションが充足されていて、一切の不安が湧かない組織作りができている状態を指してます。あったらいいですね…そんな組織…

なぜ完璧を目指す事になるのか

完璧な状態なんてマジで無理で、それができるのはおそらく制約条件をぶっちぎれる石油王のような人間だけ。

僕みたいな凡人は制約を受けるわけだけど、理想の成長角度と現実の成長角度がずれすぎてると不安になる。

結果、冷静さを失って制約条件の考慮ができず、”こういう人がいたら安心できるのでは”という漠然とした不安を解消するために動く、みたいな、端的に言えば心理戦に負けて戦略不足に陥り自滅する、みたいな話なのかと思いました。

最善主義は現実主義で、完璧主義は理想主義というのをどっかで聞いた気がしますが、制約条件を自覚してないと、いとも簡単に理想主義が現実主義を押し退ける。

代わりに何をすると良さそうか

  • 常に自分たちに必要な人物像を言語化しておく
  • 最善が完璧に近づくように、制約条件の限界を広げる

の2つしかなさそう。

あとアンチパターンとして「採用が大事」と自分に言い聞かせるように唱え続けるのもまずそう。

「採用に妥協してはだめですよね!」「うちはいい人しか入れません!」って言うのは簡単ですけど、それらのよくある言説をお題目のように唱える行為は、不安に駆られた時に冷静さを取り戻せるかどうかに全く影響しない。むしろ「採用は大事だと思ってたのになんでミスったんだー!」って自分を責めて一層事を悪化させることになる。

どうやら人を迎える際に妥当な報酬を提示できるだけの売り上げを立てたり、誰が”今”必要で誰が”将来”必要なのかを”他社の事例に引きずられる事なく、自分たちのチームの状況を鑑みた上で”言語化する以外の方法は無いご様子。元も子もなく、粛々と頑張るしかない(´・_・`)